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北九州芸術劇場×リヨン・ダンス・ビエンナーレ×パリ市立劇場×山海塾 共同プロデュース
山海塾「歴史いぜんの記憶―うむすな」
山海塾主宰・天児牛大氏 会見 

 

2013年1月26日(土)・27日(日)に行われる、山海塾2年ぶりの新作「歴史いぜんの記憶-うむすな」の公演に先立ち、主宰・天児牛大氏の会見が行われました。新作について、そして山海塾のことについて、たっぷりお話いただいた内容をご紹介します。長めですので、お時間のある時にのんびりお読みください。

 

目次

 

リヨンでの創作について

今までパリの市立劇場で2年に1度、新作を発表してきましたが、今回はリヨンのダンス・ビエンナーレで新作の創作を行いました。リヨン・ダンスビエンナーレは今年からディレクターが変わり、ドミニク・エルビュという女性の方になったのですが、彼女に地域でのクリエイションと新作の発表に重点を置いたフェスティバルにしたいという意向があり、フェスティバルのオープニングとなる作品をリヨンのオペラ座で発表するという提案を受けました。


山海塾の作品が上演されたリヨンのオペラ座


オペラ座前に貼りだされた山海塾のポスター

 

タイトル「うむすな」に込められた意味

今回の作品のタイトルは「うむすな」です。

いわばタイトルはシンボルみたいなもので、いつも日本語の、割と古語に拘っているわけですけれど、「うむすな」は語源としては、「うぶすな」と全く同じです。「うぶすな」は漢字で「産土」と書きますが、これは「産まれたところ」という意味があります。今回はこの「うぶすな」を清音読みして「うむすな」としています。

ちょっと屁理屈になるかもしれませんけど、「うぶ」には「無垢な状態」という意味がありますね。ところが、清音読みの「うむ」になると、「有と無、有無」という事になる訳ですね。

また「うぶすな」の「す」はもともと「鳥の巣」というような意味で、いわば「家屋の屋(おく)」みたいなものです。「な」は「土」ですから「場所」という事になる訳で、本来はとても小さなテリトリーを指す訳ですね。けれども今回「うむすな」と清音読みする事によって、「生まれたところ」という小さな場所、ある地域という事ではなく、もう少し普遍化した形でとらえてみたい、という事があったんです。

サブタイトルは「歴史いぜんの記憶」です。歴史というのは成文化された事を指すでしょうから、それ以前の記憶、成文化されていない時期の記憶という事で、あえて言えば「生命記憶」という事になると思います。


(C)Sankai Juku

 

「うむすな」を構成するもの:照明と舞台美術

今回「うむすな」という事で、生まれた場所を普遍化して考えたいと思った訳ですけれども、普遍化された場の表面、地表面に何があるかというと、いわば四元素としての地・水・火・風です。

地があり、風があり、火があり、水がある。これら四元素を舞台の中に入れています。

特に今回、照明の色を赤・青・黄色・緑とすることで象徴的に使っていますが、どの色が何を意味するということではなく、観た方がそれぞれに、どういう場であるかを感じ取って頂ければと思っています。

 

「うむすな」のもう一つの特徴として舞台面の設(しつら)えがあります。

私は舞台面にもう一つ、踊りの面を設えるという言い方をよくするのですが、これまではその設えを楕円形や正方形の面、あるいは水面といった形で試みてきたわけです。今回は、チラシやポスターを見ていただくと分かるように、一つの面を二つに割っていて、踊りの面が左右に分かれているんです。言いかえれば、二つに分かれた舞台が一つになっている。この「二つで一つ」というのも自分の中でのテーマでした。

前作「から・み」では、「から(殻)」としての外側、魂の入ったものとしての「み(身)」という、二つで一つの身体というものを象徴的にタイトルとして使っていました。前回タイトルで表現していた「二つで一つ」が、今回は舞台美術で試みられているわけです。

二つに分かれた踊りの面の真ん中には、公演が始まるとずっと砂が落ちていくんですね。砂は終わりに近づくにつれ、どんどん堆積し、砂が盛り上がります。それが右と左の舞台を繋ぐ橋=ブリッジの役割を背負っていくわけです。砂は過去の作品でも使っていますが、時間という風に捉えてもらってもよいと思っています。

また舞台の上にも砂が敷かれていて、時間がたつにつれ、踊り手の動きによって傷がつくような形で表面が荒れていく。1時間25分という作品の時間をかけて、平面のレリーフをつくっていくようにも捉えられるかもしれません。

 

さらに2つに分かれた舞台の上手と下手に、1メートル20センチの透明な円盤が吊ってあります。そこには、お客さんに見えるか見えないか位の細さで、やはり砂が落ち続けていて、それを円盤が引き受けているんです。二つの円盤が上下することで上手の側に開かれた空間が出来たり、別の場面ではその状態が逆転したりします。円盤は、そのバランスとアンバランスによって空間のあり方を変える、そういった役割を背負っているわけです。

場面は全部で七つあります。

踊り手は私を加えて8人、私は2場面のソロをやっています。


(C)Sankai Juku

 

複数の文化が重なり合う音楽

「うむすな」の音楽も、毎回付き合ってもらっている加古隆さん、YAS-KAZさん、吉川洋一郎さんの3者に依頼しました。

加古さんはご存知のように、ピアノをメインにした非常に美しいメロディーを作曲する方です。今回加古さんには2曲依頼しました。加古さんが過去に作曲されたものから私が2曲選び、それを編曲して頂く中で、楽器をピアノではなく他の楽器に移し替えました。この楽器の移し替えは、加古さんとの作業ではいつも行っていることです。今回1曲は琴、和琴ではなく中国の琴をベースにそこに洋楽器のコントラバス、チェロ、バイオリンを重ねています。もう1曲は西洋のハープをベースに、メロディには中国バイオリン=二胡を重ねました。

YAS-KAZさんはパーカッションがベースですが、いつも通り彼のベースに合う楽器を選び、バリエーションのある曲を創っていただきました。吉川さんはシンセサイザーで今回もまた特徴的な音を提出してくれました。彼は絶対に音源は分からないはずだと言っていましたけれど、私はそんな事までは気にしていません(笑)。


(C)Sankai Juku

 

フランスで創作をはじめて30年

1982年にパリ市立劇場との共同プロデュースで新作を発表してから、今作で30年になります。パリ市立劇場とはフランチャイズ契約ではなく、毎回単発の契約です。創作し、その評価で次の契約が決まるわけです。山海塾は日本人だけのカンパニーですからフランスの劇場にとっては外国のカンパニーです。そう考えると、よくここまで長い間支えてくれたと、その度量の広さを感じます。大変嬉しくもあり、よく続いたな、という思いが一番大きいですね。

私自身、日本から出る前と出た後では変化があったと思っていますので、そういう機会や出会いを与えてくれたという意味でもフランスでの創作は大きな意味があると思います。フランスで初演をやることで、作品が世界に広がっていくことができる、ということもあります。できれば今後も今までと同じように、色々な国を動いていく中で山海塾を成立させていきたいと思っています。同時に今回も北九州芸術劇場に共同プロデュースに加わっていただいていることで、日本にもきちんと片足を置いておけるということを、ありがたく思っています。


リヨン・ダンス・ビエンナーレで行われたアフタートークの様子

 

普段のトレーニングとオフの過ごし方

ツアーに入ると、やはりかなりタイトな生活になるんですね。一日のスケジュールもどんどん決まってきますし、舞台があるということで、禁欲的にもなります。ですから逆にツアーが終わると、とてものんびりした生活になってしまうんですね(笑)。やはり気持ちを抜かないと、四六時中ツアー中と同じような状態でいる事はかなりきついんです。出来れば空っぽになりたいし、時間にあまり制限されたくない。それに空っぽになっていないと、他のものが注ぎこまれない。

トレーニングは、勿論自分なりにある程度はやりますけれど、あんまりやってしまうと歳なものですから(笑)。基本的な稽古としてストレッチをしたり、体をほぐしたり、あとは、ゆっくり泳ぐ事が好きですね。筋力のトレーニングとは別に、そうしたことを行っています。山海塾の舞踏手にも、「こういうトレーニングをするように」といった強制はしません。


リヨン・ダンス・ビエンナーレで行われた記者会見の様子

 

自己発見の装置としての作品

毎回言っていることなんですけれども、私自身、何かを見る時に「こう見なければならない」と指示されることに反発する気持ちがあります。自分なりの見方がしたい、という気持ちが強いんですね。同じように山海塾の作品についても「こう見なければならない」とは思っていません。ものを見る時、人は作品と面と向き合い、正面からいろいろなものを受け取っていく訳です。それは作品との「対話」だと思うんです。そこから自分の見方が引き出されてくる。好き嫌いも含めて、自分の中にある体験や経験と照らし合わせた時に、舞台上の作品がどう見えるのか、それを自分の中で発見していく。もしかしたら作品というのはそうした自己発見の装置なのかもしれません。自分を大事に、自分の感性を広げていくきっかけになれると嬉しいですね。

舞台と観客が正面から向き合うという点をとっても、舞台芸術にはテレビといったものとは異なる要素があります。そういった意味で、観客の皆さんには劇場空間というものをもっと意識して欲しい、舞台の持つ正面性を大切にしてもらえればと思います。


北九州で行われた記者会見の様子

 

「日本人・男性・少人数」という、山海塾の原器

山海塾がヨーロッパに行くようになったのは80年からですが、初期の頃はやはり様々な提案を頂きました。ただ、男性だけの少人数による創作という、最初にきっかけがあって創ったその形を変えたくなかったんですね。80年代初頭から、ヨーロッパのカンパニーにも、いわゆるインターナショナル・カンパニーというものが増えてきて、カンパニーのメンバーやサイズをボーダレスに大きくしていくというのが一つの時流でもあったんです。山海塾にも、大きくするとか、インターナショナルにするといった選択肢はありましたが、それを拒絶することで、山海塾としての一つの特徴をきちんと追究したいと思っていましたし、最初にできた核というのは、やはりどこか必然性があってそうなったわけですから、それを変えるより変えないことで逆に尺度を計っていきたいと考えたわけです。山海塾は私にとっていわば原器のようなものです。山海塾とは異なる場で振付や演出を行う場合にも、今まで自分がどういう風にして何をやってこようとしてきたのか、そういったことを推し測るための原器を持っていたいんです。

ただ、私を含め5人のメンバーで20年やってきて、振り向いたら若い人が誰もいない。当たり前なんですけどね(笑)。そうするとやはり体力的な問題もあって、よりエネルギーを使うような、アクティビティのある動きが抑えられてきてしまうので、そこをもう一度開いていくために少しずつ新しい人を入れるようになりました。やっぱりローリングストーンズみたいにはいかないですね(笑)。そうやって1人増えるごとに少し構成が変わるような、ゆるやかな変化でやってきている状態です。これからも急に大きくなったりとかする事はないと思っています。


(C)Sankai Juku

 

 

北九州芸術劇場×リヨン・ダンス・ビエンナーレ×パリ市立劇場×山海塾 共同プロデュース

山海塾「歴史いぜんの記憶―うむすな」

2013年1月26日(土)・27日(日) 公演情報はこちら

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