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北九州芸術劇場プロデュース 「ハコブネ」 対談 

作・演出 松井周 〔サンプル〕 × プロデューサー 能祖将夫

画像:(左)松井周〔サンプル〕、(右)能祖将夫

 

能祖 前作の「家族の肖像」も大変刺激的だったんですが、今回の「あの人の世界」もまた、勇気があるなぁと思いましたね(笑)。常に前へ向かって走っていて、守りに入っていない。その潔い感じがすごく良かった。

松井 ありがとうございます。

能祖 やっていることはかなり前衛的だと思いましたが、描いている世界観は「家族の肖像」と共通するところもありますよね。今、この現代を生きる人たちの壊れっぷりというか。もはや幻想さえも抱けない。夢や理想も死語になりつつある壊れた世界の中で、自らも壊れた部分や関係性を抱えながら生きざるを得ない人たちの様子がリアリティを持って描かれている。実はそこのところを、今回のプロデュース公演でもぜひ松井さんに描いていただきたいと思っているんですよね。

 

一つの方向に価値観が決まったモノを、
一旦引っぺがしたい、という衝動。

 

松井 僕の中にも変わらないテーマのようなものがありまして。それは「サンプル」という劇団名に込められたものにも共通するんですが、一旦「人間」を、今までの「人間ってこういうもの」という固定観念に囚われずに、感情や内面、人間性から引き離してみようという試みなんです。たとえば動物と同じような存在として、ただそこに居る「人間」として創る。なぜそう思ったかというと、今の現代人って、何かとイッパイイッパイになってるじゃないですか。固定観念や個の意識や自我に縛られて、「何か夢を見つけなきゃ」「生きがいを見つけなきゃ」「友だちと上手くやっていかなくちゃ」「空気を作らなきゃ」って。でも、そうじゃなくても別に「ただイキイキとそこに居ればいい」と思うんですよね。そこをあまり人間に寄り添うカタチではなく、少し引いて見て、懸命に蠢いている様を描きたい。それはニヒリズムのような感覚ではなくて、いわば一つの方向に価値観が決まったモノを、一旦、引っぺがしたいという衝動があるんだと思いますね。

能祖 ああ、その「引っぺがしたい」という部分は、松井さんの作品によく表れていると思いますね。解剖学的というか(笑)。人間をすごく冷静に見て、腑分けしていくような感覚が作品の中にありますよね。僕ね、「家族の肖像」を見た時に何がショックだったかと言うと、今の人間ってここまで壊れているんだと見せられたこと。家族でも恋人でも男と女でも、その関係性がね。もちろんどんな時代にも完璧な人間など居ないわけだから、人間は欠損を抱えて生きて当たり前なんだけど。でもかつては「人間は壊れ物」という意識があったんですよ。「壊れやすいから、自分も他人も大事に扱おうね」みたいな(笑)。それが今はもう「壊れている」。そんな中で、今を、明日を、生きなくてはいけない。じゃあどうやって生きようかという部分が描かれているんだと思って、そこがショックでもあり、面白くもあったんです。

松井 「家族の肖像」も、自分の中では一つの「サンプル」なんですが、ある程度自分の中のモチーフがまとまった作品だったので、それを観て声をかけていただいたのは嬉しかったですね。あれは、舞台がプールの底だとすると客席は上にあって、観客は上に浮いたような感じで観る芝居だったんですよね。

能祖 そうそう。2階建ての2階のヘリに客席があって、ね。なので、空間づくりという点でもかなり楽しみにしています。もう、びっくりしましたよ。あり得ない、と思った(笑)。

松井 今回の公演でも、その劇場の空間を「あれ、今までこんな風だったっけ?」と思えるような、何か今までと違う見え方の空間にしてみたいとは思いますね。やはり演劇の強みって、空間を共有することだと思うので。

 

全体的に絶望的に描くのではなく、
どこかに救いのユーモアがある。

 

能祖 松井さんといつもご一緒されている美術プランナーの杉山さんは、とても発想が飛び抜けている方で。松井さんとも息が合っているので、作品の方向性として、僕から一つお願いしたのは、「地方で生きている人たちの感覚を、今回の作品に出してほしい」ということ。「壊れている」というのは東京だけではなく、地方にも顕著に表れているんですよね。その「地方」ならではの壊れた感覚を描いてほしいというのはあります。ただ、誤解のないように付け加えると、松井さんの「壊れた感」の描き方には、ある程度突き放したようなシニカルな部分もあるんですが、どこかにユーモアがあるんです。僕はそこが好きなんですよね。全体を徹底的に絶望的に描くのではなく、何かちょっと笑ってしまう。「こんな僕たちだけど、しょうがないよね」みたいな。そこが救いでもあり、いいんですよね。

画像:松井周(サンプル)

松井 僕の中で意識しているのは、能祖さんがおっしゃった「ちょっと滑稽だな」という感覚かな。たとえば、バイト先でもいろいろあって、自己啓発セミナーのようにみんなで褒め合って、やる気を出させて、頑張っている店とかあるじゃないですか。それでいいという見方もあるけど、それが別の角度から見ると滑稽に見えることもある。もしかしたら、成果は出しても賃金は抑えられたままで、みんなが無理して稼働している状況かもしれない。そうするとある種の消費されていく人間像も見えてくるし、。そんないくつかの視点を盛り込まないと面白くないな、と思ってしまうんです。本人たちから見れば「希望」でも、裏を返せば「絶望」だったり、視点を変えればユーモアだったり。それを「これが正しいんですよ」という一つの方向だけで見せたいわけじゃない、というのはいつもありますね。でもねー、いくつかの要素を入れ込み過ぎてしまうと、本当に笑えなくなることもあるし。本当はもっと単純にポンと出したい部分もあるんですけど…そこはまあ、勉強中ですね(苦笑)。一つの要素があると、それを別の方向で引っ張って、結果何か突き抜けないという感じにしてしまうこともあるし、その突き抜けなさを見せたい時もあるし。何とも言えないところですかね。

 

「蟹工船」を
イメージベースに。

 

能祖 もう一つ、今回の作品づくりにあたって、ワーキングプアや派遣社員、フリーターなどの生活形態がクローズアップされる現代にリバイバルヒットした、小林多喜二の「蟹工船」をイメージのベースに使ったらどうだろう、という話もしましたね。もちろんあれをそのままやるわけではなく、まったく違う話にはなるんですが。ただ、今の日本の貧困率や格差社会というのは、どうしようもない現実としてあって、そこにあの「蟹工船」が描かれた時代と共通するところも多々あるのでは…ということで。

松井 そうですね。改めて「蟹工船」を読んでみると、僕は共通点よりも、何が違うのかというところが結構ヒントになるかな、と感じました。「蟹工船」に描かれた極限状態や労働者たちの状況は、現代の若い人たちの労働環境にも見え隠れすると思うんですが、僕が考える一番キツイ環境というのは、「自分が自分であることを認めてもらえない環境」。自分が居なくなっても、次が居る。自分じゃなくても、誰でも良くて、取り替え可能。とにかくこういう作業をしてくれる人が居ればいい。これは「蟹工船」にも通じる共通点かな、と思います。ただ、今の方がもうちょっと殺伐とした感じがあるんじゃないか、というのが僕の実感で。たとえば、別に誰と一日しゃべらなくても職場に居られる人とか、クビになる時もあたかも円満にクビを切られたかのようにスッと辞めさせられる人とか。クビ切りがあっても団結する術もなく、濃い人間関係、コミュニケーションをも作れないまま、何となく環境に放り込まれて、作業させられて、いつの間にか人が居なくなって、気付かぬうちにまた補充されている…。「蟹工船」のギュウギュウに閉じ込められた環境の中で人々が団結していく感じとは、ちょっと違う殺風景な空気のようなものを感じていますね。

能祖 確かに、今の時代の方がもっと乾いている印象だよね。

松井 そうそう。それに、より複雑になっているし。そんなことを能祖さんとお話していて、僕の中に何か「ハコ」を運ぶ作業をしている人たちのイメージがパッと浮かんだんですよね。「ハコ」を「ハコブ」、「ハコブ・ネ」。何かダジャレのようになってますけど(笑)。「ハコ」の中を、まるで目的を持っているかのように、何かを運んで動いている人たち。それが、何の目的で運んでいるのか。運んでいる「ハコ」は自分にとって何なのか。その意義を分かっているのか、いないのか…。開けても開けても「ハコ」が出てくるマトリョーシカ的なイメージが原点にあります。もう一つは、劇場のことをよく「ハコ」って言いますよね。その「ハコ」を、そのまま見せちゃいたいという想いもあります。まだどういう空間になるのかは全然わかりませんけれど。

 

今、実際に北九州に住んでいる人の
カラダを伴った「存在」を描くために。

 

能祖 今回は松井さんからの提案で、出演者のオーディションをインタビュー形式で行ったのも新しい要素でしたね。オーディションの時に語られた俳優たちの生の人生が、作品の中でどう反映されていくのかが楽しみでもあります。

松井 今回の作品では、今、この時代に北九州近辺に住んでいる人を描くわけですから、取材という意味合いもあったんです。でも、そこで語られた人生経験を抽出するというよりも、今、現実に北九州に住んでいる人の「実感」─言葉や語り口調や仕草をヒントにしたかったというか。今回やりたいことの一つは、北九州に住んでいる人たちの「存在」を描くことですから、やはり「カラダ」としての存在を基本に作りたいと思っているんですよね。立ち方、座り方、コーヒーの飲み方、発語の仕方、身振り、アルバイトでの作業の仕方…それがすごくヒントになると思ったんです。

能祖 確かに、インタビューで出た話の内容も良かったけど、仕草や表情がおもしろかったですね。人前で自分のことを語る時の、あの何とも言えない表情…。

画像:能祖将夫

松井 そうですね。でも終わった後は、正直ぐったりしましたけど。何でこれ、やっちゃったんだろうっていうくらい(苦笑)。

能祖 そりゃ、人の人生に踏みいったわけだから…。

松井 本当にきれい事ではなくて、どの人もやはりものすごく濃い話で。話の内容の濃さでは、誰も落とせませんでしたよね(笑)。

能祖 オーディションで得た「実感」をベースに、アーティスト・イン・レジデンスですからね。約1カ月、実際に北九州に住んでいただいて、同じ空気を吸って、その土地の食べ物を食べて、その中で創っていただくわけですが。

松井 はい。それも楽しみです。稽古に集中出来るし、しかもそこでいろんな発見があると思うんですよね。せっかく行くんだから、全部知りたいというのもあります(笑)。たとえば、地元の俳優さんは稽古場に来るのにどんな経路で、どんな風景を見ながら来ているんだろう。どんなものを食べて、夜はどう過ごすんだ?昼食はすごく切りつめてて、本当に300円で済ませている人もいるのかな、とか。

 

プロデュース公演で初めて描かれる
現代の北九州の「リアリティ」が楽しみ。

 

能祖 この一連のプロデュース公演で、「現代」を描くのは初めてのチャレンジなんですよね。これまでも北九州にまつわる作品を創ってきましたが、第1弾の「青春の門 放浪篇」も第2弾の「風街」も、昭和30?40年代の話でしたから。今回は、完全に「現代」。松井さんには、旅人としての目と、1カ月とはいえそこに生活する人の目で、この地域で生きようとしている人間たちの「今」を描いてもらえると嬉しいですね。

松井 僕にとっても今回は新しいチャレンジですねすごく楽しみです。僕は演劇って、どんなやり方でもあると思うんです。たとえば、遊びやゲーム感覚でもいい。自分たちが地方で創った演劇を東京に見せようとか、そういう意気込みや発想ではなく、ただその場にいる人やその場のモノと遊ぶような感覚。演出家から何かを提案するのではなく、ちょっとしたテーマをもとに役者が独自にあみ出したり。そういうエチュード的なことも実験的に稽古に入れたいな、と思っています。演出家や台本は、おもちゃのうちの一つくらいの感覚で、もしかしたらすごい宿題のようなものをドンと投げてみたりもするかもしれませんが(笑)。行くからには、何かを仕掛けたいし、逆に仕掛けられたいという想いもあります。

能祖 そういう感覚が松井さんやサンプルの作品にある「リアリティ」になっていて、そこがまたおもしろいんだろうね。その感覚を通じて描かれた、北九州・福岡で今を生きている人たちの「ナマ」の感覚を、僕自身も楽しみたいし、お客さんにも楽しんでいただきたいと思っています。

松井 僕は、演劇を普段観る方にとっても、あまり観られない方にとっても、「え、演劇ってこういうこともやっていいの?」「あ、ここで終わっちゃうの?」みたいな。どんなものでもいいので賞味期限の長い感覚が残せたらいいなと思っています。ストーリーを追うというよりも、今その空間、、ハコの中で起こっていることでお客さんにも俳優にもワクワクしてもらいたい。そんな濃密な時間を創りたいし、味わってもらいたいな、と思っています。俳優さんにも、とにかく遊んでほしい。どこまでも遊んでいいと思うんですよ。それが俳優の仕事の一つなので。たとえばビリヤードの玉のように。ちょっとどこかにぶつかったらコンコン跳ね返っていくくらいに、柔軟でリラックスして、遊んで楽しんでほしいと思っています。

 

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